見る・遊ぶ

鎌倉で人力車夫42年の青木登さん引退決意 77歳の「幕引きの会」に248人

4月中旬、若宮大路を南下する人力車上から撮影した青木さんの背中(撮影=三浦元)

4月中旬、若宮大路を南下する人力車上から撮影した青木さんの背中(撮影=三浦元)

  • 22

  •  

 鎌倉で42年間にわたり観光人力車を引いてきた青木登さんが引退を伝える「鎌倉人力車 有風亭 感謝の幕引きの会」が6月8日、KOTOWA鶴ケ岡会館(鎌倉市小町)で開かれ、親交のあった248人が集まった。

あいさつに立ち感謝の気持ちを伝える青木さん

[広告]

 1963(昭和22)年に茨城県で生まれた青木さんは、35歳のときに脱サラし、鎌倉で人力車を引き始めた。以来42年、全長220センチ、幅125センチ、重量80キロ、2人乗車時には200キロを超えることもある人力車を、167センチの小柄な体で引き続けてきた。乗せた客は12万人以上、走った距離は12万キロにも及ぶという。

 青木さんは「気がついたら77歳になっていた。最近になって筋肉の衰えを感じ、今年1月ごろ引退を決めた」と話し、「世話になった人たちに直接、感謝の気持ちを伝えたいと思い、この会を開いた」と続ける。

 この日も青木さんは、日中はいつも通り人力車で客を運んだ後、18時前には会場エントランスで来場客を迎え入れた。司会進行は、青木さんの妻で「茶房 有風亭」(雪ノ下)女将(おかみ)でもあるいずみさん。開会を宣言すると、テレビ番組「徹子の部屋」を模した「登の部屋」が始まり、青木さんをホストに、ゆかりの人が登壇した。

 「悩んでいたり、落ち込んでいたりするときに、街角で青木さんの笑顔に会うと、元気をもらって前向きになれた。同じような思いの市民も多いはず」と話し始めたのは松尾崇鎌倉市長。「青木さんが人力車の先駆けとして、こうあるべきという姿を見せてくれたからこそ、鎌倉の品格や価値が保たれてきた」と話すと、青木さんは「客引きをしないことをモットーにやってきたこともあってか、『青木さんの人力車は鎌倉の風景の一つだから』と店や寺社の人から『止めておいてもいいよ』と声をかけてもらうことも多く、ありがたかった」と答えた。

 鶴ケ岡会館の松岡松生さんとのトークでは、青木さんの人力車が注目されるきっかけが、同館からの依頼で鶴岡八幡宮での結婚式への送迎だったことが明かされた。「1年で300組、1日最大12組の新郎新婦を運んだこともあった」という青木さんの言葉に、会場はどよめいた。これまでに結婚式での送迎は1万1000組、近年は子孫の3世代にわたる乗車も増えてきたという。

 この後、会場内に置いた人力車の前で、青木さんは一人一人と言葉を交わしながら記念撮影に応じた。

 最後に青木さんは「こうして元気に人力車を引いてこられたのも、皆さんの温かい応援があったからこそ。いくら感謝の言葉を述べても述べても足りない」と話した。「そんな皆さんの前で、中でもずっとそばで自分を支えてくれた人に感謝を伝えたい。それは妻です」と、いずみさんを壇上に招き、ひときわ大きな声で「ありがとう」と発して強く手を握ると、会場は大きな拍手と歓声に包まれた。

 この日、参加者には有風亭のロゴをデザインした藍染めのトートバッグが記念品として配られた。いずみさんは「青木がいなくなった鎌倉で、皆さんに持って歩いてもらうことで、多くの人の記憶に残ればうれしい」と話した。

 青木さんは今年9月末まで1日2組限定で営業を続けた後、拠点の有風亭を畳み、群馬県のいずみさんの実家で親の介護に当たるため転居するという。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース