江ノ電のコアなファンが200部制作しコミックマーケット(コミケ)で完売した同人誌「イナシュウ」の第2号が8月末に発行され、じわじわ売れ行きを伸ばし話題になっている。
「イナシュウ」とは「江ノ電の鎌倉駅発『稲村ケ崎行き終電車』のこと。勝手に命名しました」と笑って話すのは、同書発行人のつじたかさん。ほとんどの車両の行き先表示は上りが「藤沢」、下りが「鎌倉」だが、「稲村ケ崎」行きは23時55分に鎌倉駅を出る最終電車のみ。0時05分に同駅に到着するとそのまま留置され、翌朝5時23分発「藤沢」行きの始発になる。
「鎌倉駅のコンビニでアルバイトをしていた学生時代に頻繁に乗っていたので、特に珍しいとは思っていなかった」という。「鉄道ファンとしてSNSで発信しようとしたとき、視点を変えたらレアなものだと気付いて」以降、自宅最寄りの長谷駅で下車後、「稲村ケ崎」表示のある車両を撮影するようになった。
最終電車が常に同じ車両がでないことが分かると、車両の組み合わせと運用に興味が湧きチェックが始まった。「昼間、長谷駅のベンチに座って観察する変な人に見えたはず。ただ、6本が片道30数分で運行しているだけなので、実はそれほど大変ではなかった」と振り返る。
2014(平成26)年、「イナシュウ」の存在や車両の運用を0号ともいえる冊子にまとめ80部印刷。コミケに並べると「運用をまとめたものを見たことがない」「独自性が強い」と3時間で完売したという。
その後、1号の制作に向けて本格的な調査を始めた。車両は2両が1編成で15編成あり、日中は2編成を連結した4両で6本が走行している。「月に3~4回しかない組み合わせがあったり、600日チェックしてきて初めての組み合わせがあったりして驚くことも多かった」と話し、「点検で走らない車両にもシフトがあること、乗務員さんの出勤シフトも分かるようになった」と笑う。
全国の鉄道の運行状況を発信する企業に就職していたつじたかさんは、業務でもデータを扱うようになる。これまでに蓄積した膨大なデータから、運転見合わせから再開までの見込み時間を原因別や路線別などで算出するなどのデータ化にも取り組んでいた。
「思いつきで始めた江ノ電の統計にも自分の仕事が生かせる」と、よりマニアックなデータ収集と編集へ加速する。データは「編成別運用実績」「方向別運用目撃実績」「組み合わせ別運用実績」「編成休みローテーション表」など多岐にわたり、デザイナーと共に約3カ月掛けて本が出来上がった。
2018(平成30)年8月、まずコミケで販売したほか、鎌倉と藤沢の書店に持参すると「どこも不思議そうな顔をして『よく分からないけれど置いてみよう』というスタンスで受け入れてくれた」と言うが、印刷した200部を完売。「超マニアックなのに、鉄道ファンだけでなく老若男女に買っていただけたようで、江ノ電のブランド力を再認識した」と言う。
「0号や1号を出したおかげで、江ノ電好きの輪ができた。自分のような視点だけではなく、さまざまな角度から江ノ電に着目している人の発表の場にできれば」と、2号は仲間10人での「合同誌」として制作した。
運用実績表の最新版や解説のほか、「イレギュラーな構内入れ換えと着発線変更を見る」や「車内自動放送のまとめ」といったマニアックなものから「江ノ島駅前の人気者『ピコリーノ』」「江ノ電の見えるカフェ案内」「『長谷液』について」など車両以外の話題も取り上げた。藤沢駅21時49分発の唯一の極楽寺行「極終(ゴクシュウ)」についての著述も掲載している。
今年は抽選に漏れブース出展できなかったコミケでは知人のブースに置いてもらったものの、前年並みの売れ行きだった。「ネットでいただくアンケートでは、半分が『初めて購入した』人。存在を知って求めた人なども多く、ゆっくりと広がっているようだ」と分析する。
江ノ電の魅力について、つじたかさんは「何でもあるところ」と言い切る。「たった10キロの路線なのに、ローカル線のような部分もあり、都市鉄道のような部分もある。色も形もバラエティーに富んでいる。まるでテーマパーク」と目を輝かせる。学生時代にまちづくりを学んだ経験から「沿線の住民がこれだけ独自の文化を構築していくところは、ほかにはないのでは」とも。
「鎌倉市が購入くださり、中央、腰越、深沢の図書館に蔵書いただいたそうで恐縮している。でも、図書館や書店で電車の本を夢中で見ていた子どもの頃の自分のような存在を含め、江ノ電に興味を抱く人に手を差し伸べ続けたいと思っているので、とてもうれしい」とつじたかさん。「すでに3号の準備も始めている。未来に向けて、大好きな江ノ電と江ノ電沿線のレガシーを残していくための一助となれば」と抱負を話す。
B5判96ページ。島森書店、たらば書房、有隣堂藤沢店で販売中。増刷はしないため売り切れ終了。